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3 卵巣膿腫の手術
再生不良性貧血と診断したその瞬間主治医は
「このまま入院してください」
私「何のために?」
「いろいろ検査をしたいので」
「どのくらいの期間?」
「短くて1、2ヶ月」
「えーーー!、治療ではなく?」
「治療法はありません」という会話がなされました。
かなりの押し問答の結果、「では毎週通ってきて下さい」と落ち着き、それから卵巣膿腫の手術を受けるまでの1年間、毎週の血液検査と2、3ヶ月に1回の骨髄検査に通いました。
骨髄検査とはマルク(骨髄穿刺)という骨髄に穴を開けてそこから髄液を直接採取する検査です。今は腸骨(お尻の内側)から採取しますが、この頃は胸骨からの採取です。針も今より太かったそうです。
その痛いことと言ったら、半端ではありませんでした。麻酔をかけられ、まるで大きなキリで骨に穴を開けられているような圧を感じ、髄液を抜くときには身体ごと天井に引っ張り上げられ(そんなことはないと思いますが)、身体の中身が吸い上げられてしまうかのようでした。
最近腸骨からの検査をしましたが、胸骨のような恐怖も無く、昔に比べかなり痛みが軽減されてきたと思います。
結局どんなに検査しても結果はほとんど同じ。骨髄はありがたいことに少しは働いているようで、1年間で進行は無し。進行性ではなく先天性でもない慢性の再生不良性貧血と診断されました。
卵巣はというと、これは進行性、外から見ても分るくらい肥大してきました。エコー検査というものを皆さんご存じだと思いますが、その当時はまだ導入されていなかったので、お腹を開けてみなければ分らない状態でした。
ところが手術の多分2日前だったと記憶しているのですが、ついに導入され事前に検査が出来たのです。でも先生方も見方がまだよく分らず、私に一言だけ、多分卵巣だけで済みそうとお話しして下さいました。あまりの肥大さから他に問題がある可能性を示唆されていたのですが、手術時間が少なくて済みそうだという話でした。
その時、両親は「手術時間が2時間以上かかった場合は覚悟をして下さい。」と言われていたそうです。
さらに「3日間生存していれば助かる可能性はある」とも聞かされていたようです。実は、私のような血液の病気での手術例がほとんど無く、かなり未知の手術だったのです。
●卵巣膿腫の手術
そして新鮮血10本用意して手術が始まりました。
手術の朝、まずは予備の注射。これがきちんと説明は受けていなかったのですが、何とも気持ちの良いものでした。多分麻薬の一種だったのでしょう。
合法でこんな体験は役者として絶対に忘れてはならないと思い、その時の感覚感情を今でも鮮明に憶えています。そうなんです。その頃の私は自分自身が芝居や歌を唄っていた表現者だったんです。
妹には「お姉ちゃん、こんな大変なときに馬鹿じゃないの」と言われましたが、とにかく貴重な体験でした。
そして手術室に運ばれる直前、血圧をまず測ります。ところがこれが大変、血圧が80ちょっとしかないのです。
麻酔科の先生が慌てて現れ、点滴の開始。なかなか血圧が上がっていきません。こっちはもう気持ち良くいっちゃてるのですから、その光景が滑稽に見えて面白い。
そうこうしている間に看護師さんの「90になりました」の声と共にすごい勢いで手術室に運ばれました。あっという間にガスマスクが私の顔に。次に気がついたときにはほっぺたを何回も叩かれて「何するの」と思ったと同時に、全身に重しが。とてつもない重い重しが乗っかっていると思ったのです。一瞬何が起こったか分らず、唯々重い。痛みなど一切感じません。
重い、辛い、苦しい。この状態は3日間続きました。4日目に初めてお腹が痛いと思ったのです。意識もはっきりしてきました。
4日目に執刀医と話が出来るまでになった私に先生は
「本当に良かった。私は3日間眠れなかった」
と仰って、手術の経過や今の状態をお話ししてくださいました。
卵巣だけで、他に悪い部位は無かったこと、卵巣の中身は血液だったこと、いつ破裂してもおかしくないほど肥大していたこと(両親は目の前でメスを入れて、血がはじけた卵巣を見て卒倒したらしいです)、手術時間も少なくて済み、出血も少なかったこと(一般の方の3倍を予想していたらしいのですが2倍で済んだ)、家族3人の血だけで他人の血は輸血しないで済んだことなどなど。
ここでまた私のラッキーがあったのです。
実は家族5人(私と父母、兄、妹)とも同じAB型、日本人の一番少ない血液型なのに、家族の血だけで済んだのです。
現在掛かり付けの血液内科の主治医から、もし他人の血が入っていたら時代からいっても今こうしていられなかっただろう、と言われました。家族に感謝しつつ、本当に何てラッキーだろうと思いました。
そういえば現在の主治医には、子供の頃に発見されなくて良かったですねとも言われました。中学生の頃に、しょっちゅう鼻血が出て2時間も3時間もとまらなかったのに、ただ寝かされていただけで1度も医者に連れて行かれなかったのです。
当時の医学で輸血などされていたら、やはりどうなっていたかわからなかったそうです。
執刀医はまた
「君は肝臓で生きている。神様も捨てたもんじゃないね」
ともおっしゃいました。
肝臓の数字は輸血しているにも係わらず、ちょっと上がってすぐに元に戻ったそうです。でも肝臓の数字は元に戻って良いのですが、白血球が直ぐに元の悪い数字に戻ってしまい、かなり先生は心配して下さったみたいです。
4日目からは少しずつベッドを起こし、身体を起こすことに慣れさせなければいけません。
トイレも行って良いとのこと。ところが全く身体が言うことを聞きません。頭を起こせば目が回り、少し起き上がれるようになったから歩こうとしたら倒れ、41キロにまで痩せていた(身長は165センチ)私の身体が重くて仕方がないのです。やはり貧血という病気なのだと思い知らされました。卵巣膿腫で手術した他の患者さんたちは、直ぐに普通に戻っていましたもの。
そんなこんなで大変ではありましたが、無事手術も成功し退院出来たのです。
<2013年7月23日 加瀬玲子>
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