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ペルーは何年も前から訪れてみたい国でした。クスコ、マチュピチュ、アンデス山脈、アマゾン等々……。ナスカの地上絵って? インカ帝国って? 空気が薄いと、気圧が低いと身体への影響は? 等など、前々から想像が膨らんでいました。

その思いを胸に、昨2004年の秋に12日間の日程で旅立ちました。その、心のやさしい素敵な人たちに出会えた旅のレポートを、これから数回に分けて掲載する予定です。

<2005年1月10日 加瀬玲子>


● 天野博物館

ペルーの初日は首都のリマです。まずは天野博物館に行きました。知人から、クスコを訪れる前に少しでも知識をいれておいた方が、理解が深まるから、リマに着いたら必ず訪ねるようにと言われていたのです。

この天野博物館は、故天野芳太郎氏が個人で収集したプレインカ・インカ時代の土器や織物などを展示している博物館です。私はこの博物館、いいえ私にとっては美術館に、とにかく興奮してしまいました。今までいろいろな博物館や美術館を訪れましたが、これ程の感動は記憶にないほどです。私は感動という言葉を殆ど使いません。何故なら本当に楽しかった、うれしかったことは山ほどあるのですが、感動とはそれ以上の、一生忘れることのない衝撃です。その瞬間を思い出すだけで、幸せになれるのです。そんな経験が出来た天野博物館に感謝です。

天野博物館のテーマは、プレインカの中でも、チャンカイ文化(1,000年〜1,300年)です。土器は極端に色彩が少ない白地に黒。それとはまったく逆で、色彩豊かな織物。なぜ同じ時代のもので、こうも対照的なのか不思議です。織物は和風にも、現代の最新デザインにも見えます。この素晴らしい織物が、今の時代に風化せずに見られるのは驚きです。布の多くは、ミイラに巻かれていたそうです。ペルーの海岸沿いは極端に雨が少なく砂漠地帯が多いのですが、アンデス山脈という6,000メートル級の山々に囲まれた土地だからでしょうか、びっくりしたことに空気には湿気があり、喉がさほど乾燥しないのです。この砂漠の乾燥した土の中にありながら、適度な空気の湿気により、ミイラも布も良い保存状態を保てたそうです。成る程納得です。

土器に関してはとにかく山ほど語りたいです。そこを我慢して少しだけお話しすると、とにかくキュートで、純粋。何て素直な心をそのままに表現しているのだろう。この土器を作った人達はとても平和で、争いごとなどない。虚栄心・不遜・見栄・などというのは言葉さえもなく、想像もできないのではないかと思います。多分この時代の人達もかなりのテクニックはあったと思います。でもそのテクニックを使って諂うことは一切せず、こんなことしてみたら面白いかも、こんなの可愛いかもと思い、愉しみながら創ったに違いありません。私は、最初にこの土器達を見て、思わず笑ってしまいました(他のお客様にはひんしゅくでした)。見ているだけで本当に愉しいのです。

天野博物館には、チャンカイ文化の土器だけではなく、他の時代のものも展示されていました。それぞれの土器にそれぞれの主張があり、とにかく飽きない。いつまででもここにいて、時間を過ごしたい。いさせてもらえる時間だけいさせてもらいましたが、ホテルに帰ってからも興奮が続いて収まりません。今回の旅の最終日にリマで1日時間があるので、その時に再訪することにしました。

<2005年3月15日 加瀬玲子>


● 高山病

リマ→クスコの飛行機から 1


リマ→クスコの飛行機から 2


さあ今日からクスコです。土器達との出会いの興奮のまま飛行機に乗った私達(今回は旦那と一緒)ですが、飛行機から見たアンデスの山々の自然の素晴らしさにしばし心を奪われました。私はネパールが大好きで、何度も足を運んでいるのですが(残念なことに今は治安が悪いので、ここ数年行けません)、ヒマラヤとは違う印象を受けました。何がと尋ねられてもうまく説明できませんが、しいて言えば、勇壮なヒマラヤに対して、調和のアンデスかなと思いました。でも、私達が見たのは、リマからクスコへのほんの少し、しかも飛行機からなので、あまり的確ではないかもしれません。

さて、日本を発つ前に一番心配していたのが、高山病です。クスコの標高は3,400メートル。未知の高度です。ヒマラヤでのトレッキングでも、軟弱な私は、せいぜい2,000メートルちょっとの所しか行っていないし、富士登山も計画だけで流れてしまい登っていないし。とにかく元々が喘息持ちの私を、皆が過剰なほどに心配してくれていたので、私自身も皆に言われるまま心配していました。

ところが、クスコの空港に着いた途端、息が吸いやすいのです。信じられない現象です。酸素は平地に比べ3割ほど少ないそうです。でも私の気管支や胸はどんどん開いていき、背中や肩、首の絞まりも、何もしなくても楽になっていくのです。一方私の旦那は、空港の最初のスロープでいきなりハーハー言い始めました。思わず、本気?と聞くと、息がきれて、ちょっとのスロープも辛いと言うのです。

私が楽だったのは普段の「呼吸」のお陰で、少ない酸素でも身体全体に息を届かせることが可能だったからだと思います。私にとっては酸素の絶対量が少ないマイナスの面よりも、気圧が下がったことにより、身体の中が膨張して、普段より気管・胸・背中などが開いたプラスの面の方が大きく、より楽に息ができるようになったのではないかと思われます。とにかくそれまでの心配は私には杞憂に終わりました。旦那は、丸一日頭痛に悩まされました。

ちょっとした高山病はだいたい1日で楽になってくるそうです。1日めに無理をしたせいで、その後酷い高山病になってしまう人もいるそうです。とにかく着いた日は、なるべく無理せずに順応させるのが一番です。あわてずにゆっくりと行動しましょう。ちょっとでも息が上がったら休む。これだけでかなり高地順化できます。

私達の泊まったホテルのロビーには、コカ茶がいつでも飲める状態で用意されていました。コカ茶は高山病の予防に良いと聞き、水分の補給時には、このコカ茶を飲みました。何処かで飲んだことのある漢方薬のようなハーブ茶のような味でした。好き嫌いがありそうな味ですが、私はとても気に入りました。

その後リマで買って飲んだティーバッグ


<2005年3月27日 加瀬玲子>


● サント・ドミンゴ教会

クスコの街並み


クスコの初日は、午後からクスコ市街と周辺の半日見学です。空港にも迎えに来てくれた鈴木智子さんがこれからの5日間ガイドをしてくれます。この智子さんに出会えたことはとてもラッキーでした。彼女はガイドとしてだけでなく、人としても、とても素敵な方でした。アンデスの祭りに関する本も2冊書いていらっしゃいます(URL http://suzukitomoko.oropendolaperu.org/)。

半日観光の最初はサント・ドミンゴ教会です。どうしたことでしょう。建物の中に入ったとたんに、具合が悪くなりました。それがどんどんひどくなり、智子さんの説明の声も遠くなります。我慢をして隠していられる限界を超えたので、正直にそれを伝え、少し休ませてもらいました。でも、しばらく休んでもまったく治まりません。症状としては強烈なめまいに吐き気。高山病かとも思いましたが、そうではなさそうです。とにかく一度、ホテルに帰ろうと、この教会を離れました。するとその瞬間から、嘘のように身体が楽になってくるのです。

私はたまに、自分に合わない場所などに行った時に、このような状態になることがあります。元々インカの強いエネルギーを持っていたこの神殿を、スペインの征服者達はめちゃくちゃにし、壊せなかった土台や壁の上に覆うようにこの教会は建てられたそうです。どれ程の人々が殺され、悲しんだことでしょう。私の身体や魂はきっとそのことに我慢できなかったのだと思います。

クスコの街に行けば誰もが訪れると言われているこの神殿ですが、私はろくに中を見ることもできませんでした。こんな紹介しかできなくてごめんなさい。

その後は注意して“念”の残る場所を避けることで、楽しくクスコの街を巡ることができました。


<2005年4月8日 加瀬玲子>


● マチュピチュ 1

クスコの2日目はスペイン軍の破壊から逃れた貴重な遺跡、空中都市マチュピチュの1日ツアーです。朝早くから観光列車に乗り、マチュピチュ近くの村アグアス・カリエンテスまで行き、そこからバスに乗り換え、10時頃にマチュピチュ遺跡群の入り口の前に着きました。もっと素朴で神聖な処を想像していたのですが、とにかく笑ってしまうほど観光客が多く、次々と団体客ご案内の雰囲気です。スペイン軍から逃れられたマチュピチュも、観光客からは逃れられなかったのですね。そんなことを言ってる私も観光客という征服者の一人なのですが。


気持ちの良い、山のエネルギーに囲まれて


マチュピチュ遺跡群の中に入ると、サント・ドミンゴ教会で感じたような悪いエネルギーはまったく感じられません。実は、サント・ドミンゴ教会だけではなく、クスコの近郊で、それ程ひどくはないのですが、場所によっては、軽いめまいと吐き気を感じていたのです。でもマチュピチュはまったく違っていました。とても気持ちの良い山のエネルギーに囲まれ、どんなにここで時間を過ごしてもいい気分です。もし観光客がいなかったらと、自分を棚に上げて思ってしまいました。多分クスコの街も、スペイン軍に制圧されなければ、のんびりした平和な気持ちの良い街だったのだろうなと想像できます。実は私たちは、最初は一泊二日でマチュピチュに行く予定を組んだのですが、ペルーのガイドを長年していた方から、そんなに見るところはないし、遺跡の中のホテルは高いし、近くの街アグアス・カリエンテスには泊まれるがそこはお勧めではないと言われていたので、日帰りに変更してしまったのです。観光客が帰った後か、次の日の朝早くにここに来たかったと思い、ちょっと残念でした。

それにしても不思議です。わざわざこのような山奥になぜ人がたくさん住む必要があったのか。色々な説があるようですが、文字を持たなかったインカの人達が本当は何を考えていたのか、誰にも真実は分からないのです。

それにしても急な段々畑です。こんな崖にたくさんの畑、どうやって切り開いたのか、高所恐怖症の私にはとても考えられません。マチュピチュから望むことの出来るウルバンバ川を見ようとすると、そのまま川まで落ちて(跳んで)しまいそうな、急な斜面の遥かかなたの下の方に見えます。膝を真っ直ぐに伸ばして望むことは到底できません。得意の股関節から折って腰を入れ、下半身をしかっり大地に着けて覗いてみました。川は思ったより細く、たくさんの木々に囲まれていました。ウルバンバ川は、密林に覆われたジャングルだそうです。この角度だと川からは到底この遺跡を望むことはできないでしょう。

急な斜面の遥か下にウルバンバ川


どうやって切り開いたのか、それにしても急な段々畑


今度は上を見て周りを見渡せばこれまた断崖絶壁。マチュピチュの写真には必ず登場するワイナピチュはとても尖った山でした。この山は登ることができ、頂上からの眺めは最高だと聞きます。でも高い所の得意な人にのみ許された登山だと思います。過去に数人落下しており、また落雷にあい命を落とした人もいると聞きました。頂上から眺めてみたいとは思いましたが、時間と心の準備がなく、今回はやめました。だいたい2時間位みれば往復できるそうです。

ありふれた写真ですが……


これだけの崖に囲まれていれば、周りからはこの都市を望むことは確かに難しいと思います。成る程、空からしか見えない、空中都市マチュピチュなんだと得心がいきました。

<2005年5月4日 加瀬玲子>


● マチュピチュ 2

マチュピチュの遺跡をハイラム・ビンガムが発見した時には、草に覆われた廃墟だったそうです。主神殿・太陽の神殿・コンドルの石・祭礼の石など居住区や段々畑の他に都市を形成する、幾つかの建造物があります。中でも、私が強いエネルギーを感じたのは、インティワタナというマチュピチュの中でも一番高い位置にある、日時計のような物です。太陽信仰を表していると言われています。このマチュピチュは、もっと色々なエネルギーに満ちていると思っていたのですが、意外にも、ここだけ強く感じました。他は、のどかなゆったりとした気持ちの良い田舎に行ったような気分で、クスコのような特別強かったり、重かったりといったエネルギーは全くありませんでした。

ここだけ強く感じたインティワタナ


ハイラム・ビンガムが発見するまで(その前にクスコの農場主 アグスティン・リサラガが発見したという説もありますが) 、スペイン軍からも侵略されずに、きっとインカの人達の平穏な日々が続いたのだろうと想像できます。文字を持たなかったインカですから、何も資料として残っていないらしく、発見したビンガムの持論がかなり通説になっているようです。でも行ってみるとその説は本当? と思うことがかなりあります。科学的根拠は、専門家に任すとして、私は訪れた人達がそれぞれのイメージを膨らましてもよいのではないかと思いました。

では私の説です。ここはインカ全土から、選りすぐりの科学者や研究者が集められ、天体と農作物などの自然を観察、研究をしていたのではないかと思います。太陽・月・星の動きの観察や、田畑を使った新しい品種の改良などをメインに行なった研究所があったのではないかと。王族の人達はたまに別荘に来るような気分で、それを視察に来る位で、住んでいなかったのではないでしょうか。マチュピチュにはインカ道が通っています。このインカ道は、北はエクアドルから、南はチリーまで4000キロにわたります。また、南北には二つの幹線道があり、一つは海岸沿いに、もう一つは、アンデス山中を通り抜けていたのです。ここから発信された情報は瞬く間にインカ全土に通達されたのではないでしょうか。マチュピチュで発掘された物は、海の物から山の物まで、この地域では採取不能な物も多かったそうです。これらは、王族に献上されたのではなく、色々な地方から集められた人達がそれぞれの文化を持ち込んだせいではないでしょうか。または、研究や改良に使ったのかもしれません。これ一つを取っても、全国ネットの何かがここにあったのではないかと思います。

遺跡を歩いていると、様々な植物や動物にに出会います。Viscachaという野うさぎに出会いました。何把もいたのです。ガイドの鈴木さんの話しでは、かなり神経質な動物なので、人の多い時間に巣穴から出てくることは珍しいそうです。私達はかなりラッキーだったみたいです。アルパカもあたりまえのように歩いています。まるで観光客と共存しているようです。

普段はまず出会えないというViscacha


栽培されていた植物の中にコカもありました


マチュピチュ最後の話しです。私達がガイドの人から聞いた話しの一つです。マチュピチュには沢山の女性が働いていて、ある程度の年齢になると引退させられ、他の女性たちの監視役になるシステムがあったそうです。その女性達は「ままこや」と呼ばれ恐れられたそうです。私達も帰国後隠語のように、「あの人ままこやだね」などと使っています。「お局さん」より、可愛くありませんか?

<2006年3月9日 加瀬玲子>


● デスパチョとコカ占い

ガイドの鈴木さんから、クスコでやりたいことを尋ねられ、すぐにお願いしたのが、呪術師か占い師に会うことでした。インカの時代から培われた祈りや療法などが見られたら、と思ったのです。鈴木さんは、知り合いのクランデーロ(シャーマン)に会う段取りをしてくれました。クランデーロの名前はルーカスさんといいます。ルーカスさんは、病気を治す(クラール)こともしており、土地に根付いた、私の一番会いたかった本物の呪術師です。

デスパチョとコカ占いをして貰いました。デスパチョはオフレンダとも呼ばれ、大地の母パチャママに感謝の気持ちを込めて供え物を捧げる儀式です。人々は大地から穀物など沢山の収穫物をいただき、そのお礼にパチャママの大好きな甘いお菓子などを捧げるのです。クスコでは、収穫が終わって、大地がお腹をすかせている8月に行なわれるそうです。大地の母にお礼を言わないと、パチャママは人間に害を与えてしまい、逆に感謝してお供えをしていれば、良いことが起こるそうです。

コカの葉に祈りを込める


パチャママの大好きな甘いお菓子


ルーカスさんはチチャというとうもろこしから造った地酒とタバコをお清めに使いながら、捧げ物を盛っていきます。たまにコカの葉を噛んでいます。私は言われるがままに、立ったり、コカの葉に祈りを込めたりしました。お供えの包みを丹田の前で抱え、また、お祈りです。その包みは燃やされます。その包みの中身がすべて灰になれば、パチャママが私のお礼や願いを聞き入れてくれた証拠だそうです。ありがたいことに、すべて灰になっていたと、ルーカスさんが終わってから教えてくれました。私は灰を見ていないので真偽の程は明らかではないのですが、良いことは素直に受け入れようと思います。

丹田で呼吸をしながら


この包みが燃やされます


コカ占いは、お供え物を燃やしている間に行なわれます。ルーカスさんが私が聞きたいことを想いながら、コカの葉を投げるのです。表、裏、飛んだ場所、などから判断します。デスパチョもコカ占いもこれ以上説明できません。ごめんなさい。写真を見ながら、想像してみてください。

コカの葉で占い


写真を見てびっくりしたことがあります。カメラやレンズの汚れではない謎の球体が、大きさや濃さを変えて、何枚もに写っていたのです。皆さんこれ何だと思いますか?

謎の球体


さて、私の大好きな画家クレーが、プレインカ、インカの作品に触れて残した言葉を、クスコ最後の日に博物館で読みました。クレーの絵の中に登場する宇宙人のような人達は、プレインカの土器を素材にしていたのかもしれません。



I wish I was newly born, and totally ignorant of Europe, innocent of fact and fashions,to be almost primitive.


<2006年5月23日 加瀬玲子>


● ナスカ

リマに戻り、次の日の早朝リマから車でイーカに移動し、ナスカの地上絵を見に行きました。

イーカの小さな空港には、空の神、コンドルが飼われていました。神様を飼って良いのでしょうか? 神様のぺぺちゃんは、チップが大好きです。お陰で、私も神様と写真に納まることができました。目の前でコンドルを見るのはもちろん初めてです。大体想像どおりの大きさでした。ここにはコンドルは他にいません。ぺぺちゃん一羽です。目を見ていると、大空へ戻してあげたい気持ちになります。でも、きっとここで逞しく生きているのでしょう。

“神さま”と記念撮影


さあフライトです。飛び立って暫くすると、砂の山々が見えて来ます。何という強いエネルギーでしょう。強い眠気が襲ってきます。もう半分は眠りの世界です。でも、ここで眠ってしまっては、折角の地上絵が見られなくなると思い、必死で目を開けていました。しかし予想に反して、地上絵の上空近くまで来ると、眠気が飛んで行き、意識がはっきりしてくるのです。

これもまた私の予想ですが、この地上絵が描かれたころは、途中の砂の山々のように強いエネルギーだったのに、人々がどんどん入って来て、本来持っていた物が失われて行った。もしくは、この強い山々に守られてこの地上絵が生き伸びて来たのかもしれません。

地上絵は予想よりも小さい絵でした。なぜこのような絵が存在するのか、確かに不思議ではありますが、あれだけの建造物や作品を残した文化をもった人達の知恵で、できないとは思えません。宇宙人説があるのなら、インカの祖先自体が宇宙から来た人達だったのではないのでしょうか。

砂の山々の強烈なエネルギー


帰路でもまた、砂の山々で強烈なエネルギーが襲ってきました。もう我慢ができません。深い眠りに落ちたままイーカに着きました。真実は何であれ、あれだけの強いエネルギーを心地よく感じられたのは良い経験でした。砂の山々ありがとう。

<2006年6月8日 加瀬玲子>


● パラカス

イーカを出発し、パラカスに向かいました。パラカスは最終目的地バジェスタス島へ船で渡る起点です。砂漠地帯を車で走り続けます。そこに突然オアシスが現れるのです。



砂漠の中に突然の楽園


知識としてオアシスを知っていても、百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、現実にこの光景を見ると、その驚きと興奮はどんな知識にも勝ると思いました。本当にすごい、どうしてこんな砂ばかりの所に、こんなに水が豊富にあるのだろうか。まさに楽園。木々が茂り、今までの乾いた風とは違います。オアシスは本当にオアシスだった。

パラカスは、バジェスタス島に行くための単なる起点と考えていたのは、大きな間違いでした。魚介類が美味しいのなんの。胃袋が幾つもあればいいのにと思った程です。私達が泊まったホテルの食事も美味しいとは聞いていたのですが、ガイドや運転手の人達はどうももっと美味しい所を知っている様子だったので、二人のよく行くレストランに連れてって貰いました。大正解です。何を食べても美味しいのです。Parihuela(貝のスープ)Arroz con mariscos(ピラフ)Tiraditos(さしみのレモン漬け、本来のペルーのセビーチェ)Legumbres(野菜)Chupe de Chmarones(えびのスープ、牛乳ライス)等など。とにかく素材は新鮮、味付けも本来の素材を生かし、何か手の込んだ事はしていない。こんな食事がペルーで出来るなんて思っていませんでした。リマでも美味しかったのですが、何と言っても、ここの食事は最高でした。何日か滞在し、海を見ながら、美味しい料理を食べ続けるのも楽しいかもと思わせる一晩でした。

さあバジェスタス島です。実は、ガラパゴスにも行きたかったのです。今回はガラパゴスは諦めていたのですが、このバジェスタス島がリトルガラパゴスと聞き、是非訪れてみようと思ったのです。

朝から出発して、約4時間のツアーです。島に着く前から沢山の鳥達に出会います。ホテルにも沢山飛んで来ます。でも、島に着いて、その鳥達はごく一部だったと分かります。こんなに沢山の鳥が飛来するのを私はいまだかつて見たことはありません。



島が黒くなるほどの鳥達の多さ


ガイドは鳥達の種類を言ってはくれますが、無知な私としては、識別出来ません。行く前に勉強して行かなかったことが悔やまれます。色々な動物に会えると思って行たのですが、何と言っても、鳥の楽園です。色々な動物には会えなかったのですが、この鳥達を充分満喫しました。美味しい食事と、沢山の鳥達。とてもリラックスでき、パラカス!再訪したい場所です。

ペルーの旅も、パラカスが最後です。今回もまた、素敵な人達と出会いました。特に椎名芳子さん、藤井たかひこさん、天野美術館の坂根博さん、鈴木智子さん、ありがとうございました。いつもは、自力で、旅行することが多いのですが、今回の旅は、何かと不安だったので、椎名さんに頼んでアレンジして貰いました。そのお陰で、いつもとは違う色々な出会いがありました。感謝しています。再訪したい場所です。この次は是非アマゾンに行ってみたい。

<2006年8月28日 加瀬玲子>


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