「音楽展望 シベリウスが映すもの」(5月29日 朝日新聞)
今朝の朝日新聞に、私の大尊敬する吉田秀和先生が、久しぶりに寄稿されていました。
吉田先生は音楽評論家で、特にクラシックについて多くを語ってらっしゃるのですが、その内容は分野を超えていつもすべてに通じていて、私にとっては共感と言うのも僭越な、感服させられることばかりです。今回もクラシック音楽のお話だったのですが、それをそのまま私が関わる世界に置き換えると、私が常に思っていること、私の生徒たちに言い続けていることとあまりに一致するので、紹介させてもらわずにはいられなくなりました。
引用させてもらうと、吉田先生が強く心を打たれたという演奏は、「とりつかれたように」でありながら、「我を忘れての作業というのではない」。でも「頭で作ったものでなく、音楽が先に立って、彼女(演奏者)をぐいぐいひっぱってゆく」、「曲の魂がのりうつった」と書かれているのです。またオケの楽員の方たちのあり方も、「ソリストを称える」とはどういうことなのかを端的に言い表してくれています。そして一方で、同じ曲を「ひたすら美しくひいていた」という奏者にも触れ、読む者を納得させてくれて結んでらっしゃいます。
ぜひ、皆さんも読んでみて、自分の世界の表現に置き換えてみてください。これから目指すもののヒントになるかもしれませんよ。
[2010年5月29日 朝日新聞 朝刊 「音楽展望 シベリウスが映すもの―世につれ目覚める演奏家たちの魂」]です。
<2010年5月29日 加瀬玲子>
これは2010年のクリップです。終了した内容やリンク切れの場合はご容赦ください。