高野山 壇上伽藍
壇上伽藍(だんじょうがらん)
午後は、持参のおにぎりを食べて、壇上伽藍へ。
伽藍とは建物の名前ではなくて、僧侶が集い修行をする閑静清浄な所という意味だそうです。壇上伽藍はまさにそんな場所なのだと思わせてくれたのが、中門から入ると、若い僧侶たち(僧侶のたまご?)が、金堂の前で合掌しながら大声で「般若心経」を唱えているのに出会いました。
でも何もあんなに大きな、しかも高い声で唱えなくてもとも思うのですが。いろいろ経験している間に、御詠歌や素敵な声のお経を読めるようになるのでしょうね。
お大師さまは高野山の造営にあたり壇上伽藍からお始めになり、密教思想に基づいた金堂などの建立に心血を注いだそうです。
金堂(こんどう)
拝観料500円。マジックで消してある下のお値段は200円(2019年のガイドブックも200円て書いてあった)。このご時世仕方がないと思いますが、それにしても倍以上の値上がりとは。高野山もコロナ禍を必死に生き延びて来ているのでしょうね。
お堂の中に入ると左右に大きな金剛界と胎蔵界の曼荼羅の掛け軸が掛かっています。私のような凡人には分かりませんが、二つの曼荼羅で宇宙の真理を表しているそうです。勉強したらきっと面白いのでしょう。
お大師さまは、高野山全体を壇上伽藍を中心として曼荼羅になるように作られたそうです。
六角経蔵(ろっかくきょうぞう)で把手を押してお堂を一周し、山王院(さんのういん)、御社(みやしろ)を通り抜けて、西塔のお堂の前に。
西塔(さいとう)
西塔に近づいて行くと、何やらお堂からエネルギーが出ています。何?何なの? と言いながらお堂に手を合わせました。
西塔の中がどうなっているか知らなかった私は、建物が他より歴史があるのでエネルギーが違うのかと思ってしまいました。翌日に理由が分かるのですが。とにかく、温かい気持ちの良いエネルギーに包まれました。
孔雀堂(くじゃくどう)、准胝堂(じゅんていどう)、御影堂(みえどう)を通り、三鈷の松(さんこのまつ)の葉が3枚(3本?)をわー本当だと言いながら次の根本大塔へ。
根本大塔(こんぽんだいとう)
拝観料500円。お堂の中は胎蔵界の大日如来さまを金剛界の仏さまたちが囲む立体曼荼羅。
京都の東寺で拝観した立体曼荼羅とちょっと違って、外に向けたエネルギッシュな感じがしました。東寺の立体曼荼羅は、「誰でもいらっしゃい、いつでもいらっしゃい、私たちはいつもここにいますから」と言われているような、懐が深く受け入れられる感じが強かったと記憶していますが、根本大塔は「私のエネルギーを持って帰りなさい、あなたの生きる糧にしなさい」と言われているような、元気が貰えるような立体曼荼羅でした。
不動堂(ふどうどう)、愛染堂(あいぜんどう)、大会堂(だいえどう)、三昧堂(さんまいどう)、東塔(とうとう)に手を合わせて通り抜け、蛇腹路(じゃばらみち)を通り壇上伽藍を出て、本日最後の目的、大師教会の授戒堂へ。
授戒堂(じゅかいどう)で授戒
授戒とは、仏さまの示された「戒めの教え」=「戒」を阿闍梨さまから直接授かり法話を頂く儀式です。
入壇料1,000円。真っ暗なお堂の中で阿闍梨さまのお姿は影しか見えません。その中で、ゆったりとしたお話(説法?)がありました。
でも、お話や阿闍梨さまの存在が、近くにいらっしゃるのにとても距離のある感じがしました。その時にしか感じられない清楚な空気や阿闍梨さまの呼吸をもっと身近に感じたかったです。目の前の阿闍梨さま、もう少し、私たちから呼吸して欲しかった。語りかけて欲しかった。
これは、私の欲なのでしょうか? 阿闍梨さまとの距離を近づけることが出来なかったのは、色々な意味で私の準備が足りなかったのでしょう。考えてみれば、阿闍梨さまを身近に感じるなんて、確かにおこがましいですよね。
1日目:帰路
初日の高野山参拝はこれで終了。盛りだくさんの行程だったので、帰りは楽な国道480号線で対向車が来ても問題のない道で帰りました。
余談ですが、魚が安くて新鮮で美味しいスーパーがあり、最終日まで毎日ここで買い物をしました。ゆり根が98円だったのも得点が高い! 今でもそのテーマソングが頭を回っています「マツゲン、マツゲン、みんなの松源」シンプルな曲は耳に残りますね。
<2022年11月21日 加瀬玲子>
これは2022年のクリップです。終了した内容やリンク切れの場合はご容赦ください。