ペルー 5 マチュピチュ 2
マチュピチュ 2
マチュピチュの遺跡をハイラム・ビンガムが発見した時には、草に覆われた廃墟だったそうです。主神殿・太陽の神殿・コンドルの石・祭礼の石など居住区や段々畑の他に都市を形成する、幾つかの建造物があります。中でも、私が強いエネルギーを感じたのは、インティワタナというマチュピチュの中でも一番高い位置にある、日時計のような物です。太陽信仰を表していると言われています。このマチュピチュは、もっと色々なエネルギーに満ちていると思っていたのですが、意外にも、ここだけ強く感じました。他は、のどかなゆったりとした気持ちの良い田舎に行ったような気分で、クスコのような特別強かったり、重かったりといったエネルギーは全くありませんでした。
ハイラム・ビンガムが発見するまで(その前にクスコの農場主 アグスティン・リサラガが発見したという説もありますが) 、スペイン軍からも侵略されずに、きっとインカの人達の平穏な日々が続いたのだろうと想像できます。文字を持たなかったインカですから、何も資料として残っていないらしく、発見したビンガムの持論がかなり通説になっているようです。でも行ってみるとその説は本当? と思うことがかなりあります。科学的根拠は、専門家に任すとして、私は訪れた人達がそれぞれのイメージを膨らましてもよいのではないかと思いました。
では私の説です。ここはインカ全土から、選りすぐりの科学者や研究者が集められ、天体と農作物などの自然を観察、研究をしていたのではないかと思います。太陽・月・星の動きの観察や、田畑を使った新しい品種の改良などをメインに行なった研究所があったのではないかと。王族の人達はたまに別荘に来るような気分で、それを視察に来る位で、住んでいなかったのではないでしょうか。マチュピチュにはインカ道が通っています。このインカ道は、北はエクアドルから、南はチリーまで4000キロにわたります。また、南北には二つの幹線道があり、一つは海岸沿いに、もう一つは、アンデス山中を通り抜けていたのです。ここから発信された情報は瞬く間にインカ全土に通達されたのではないでしょうか。マチュピチュで発掘された物は、海の物から山の物まで、この地域では採取不能な物も多かったそうです。これらは、王族に献上されたのではなく、色々な地方から集められた人達がそれぞれの文化を持ち込んだせいではないでしょうか。または、研究や改良に使ったのかもしれません。これ一つを取っても、全国ネットの何かがここにあったのではないかと思います。
遺跡を歩いていると、様々な植物や動物にに出会います。Viscachaという野うさぎに出会いました。何把もいたのです。ガイドの鈴木さんの話しでは、かなり神経質な動物なので、人の多い時間に巣穴から出てくることは珍しいそうです。私達はかなりラッキーだったみたいです。アルパカもあたりまえのように歩いています。まるで観光客と共存しているようです。
マチュピチュ最後の話しです。私達がガイドの人から聞いた話しの一つです。マチュピチュには沢山の女性が働いていて、ある程度の年齢になると引退させられ、他の女性たちの監視役になるシステムがあったそうです。その女性達は「ままこや」と呼ばれ恐れられたそうです。私達も帰国後隠語のように、「あの人ままこやだね」などと使っています。「お局さん」より、可愛くありませんか?
<2006年3月9日 加瀬玲子>
これは2006年のクリップです。終了した内容やリンク切れの場合はご容赦ください。